本日午前の診療後、上京。
昨日ブログでも触れたT氏とお会いしました。
宇都宮を13時54分発の新幹線に飛び乗り、東京駅の日本橋出口から大手町へ。
(スマホ片手に、進行方向最後方が便利でした。)大手町から東西線にて約10分。
待ち合わせの場所へ赴きました。15時半から約1時間、御忙しい中、貴重なお時間を頂戴しました。
大変穏やかで上品な方で、私の手土産の拙著書と先日記事掲載の『夢21(わかさ出版)』に
「この上ない贈りもの」と喜んで頂きました。
初対面の事も忘れて、ご多忙の中、お話が大変盛り上がりました。(失礼は無かったかと・・・)
T氏は医師は勿論、某有名大学教授、学長、理事長といった医療関係者、政財界、芸能界と
幅広いご人脈をお持ちだそうで、田舎から上京した私は目をパチクリ。。。
そんな氏も『キクイモ』の効果を実感されている様子ですが、周囲の医師連は
ほとんどが認めようとしないそうで、「医者は頭が堅い!」と。(私も・・・イシですが。
ただ、一般的には私も賛同意見ではあります。)
そして、最近の若い医師は医師としてというより、人としての教育が出来ていない者が多いとも
嘆かれておりました。
氏の質問で、「なぜキクイモを?」とありましたので、今迄の経緯や考え等をお話致しました。
ロンドン留学時代、帰国に当たり一緒に酒を飲み交わした友人のRohit(ローヒット)から、
「お前はこれからの人生で何人の患者を救えるか?」と尋ねられ、外来・入院等1週間で診察する
患者数と働ける期間を考えておりましたところ、彼が「俺は今、何も出来ていないが、近い将来世界中の
患者さんを研究・開発する薬剤で救うのだ!」とスケールの大きな話を聞きました。
彼は確かに優秀で、毎夜実験室に泊まり込み、睡眠も実験台の上という真面目人間。(酒癖は悪かったが)
彼の兄上はインドから南極観測船に乗っている優秀な学者だそう。兄弟皆国費留学しているという人でした。
帰国したその後、彼からの言葉が頭に残り、「自分に何が出来るか?」模索しておりました。
私自身、大学で内分泌代謝科に所属し、多くの糖尿病患者さんの診療に携わっておりました事から、
食事指導によるストレス・苦痛を和らげる術は無いか?!考えておりましたので、キクイモと出会い、
その効果を実感した事により、これを一生の仕事、ライフワークとして取り組みたいと考えている。とご説明しました。
そして、出来れば多くの方の病気療養(特に糖尿病食事療法の制限ストレスからの解放)や予防に貢献し、
結果、健康推進が出来たら嬉しく思うとお話しましたところ、
「是非おやりなさい!応援します。」というお言葉を頂戴しました。
そして、人に役に立つというのは、かの『
大隈重信先生』も仰ってます。と、
5つの教訓を教えて下さいました。
(1)怒るな
(2)愚痴をこぼすな
(3)過去を顧みるな
(4)望(のぞみ)を将来に置け
(5)人のために善をなせ
大変、感銘を受けました。今後の糧にしたいと強く感じました。
早稲田大学は、私の大好きだった祖父が法学部卒でした。第2次大戦時には陸軍少尉として
ラバウルの最前線で戦い、戦死の報が新聞に掲載されましたが、ロシア軍の捕虜となった後、元気に帰還。
89歳迄生きました。その祖父から「生きる」という話をよく聞きました。
(私強い影響を与えてくれた、祖父の話は後日ご紹介しましょう)
子供の頃、祖父と一緒に寝た寝室には
今村均氏の書があったのを覚えております。
T氏と固い握手を交わし、再会を約束し面談終了。
その後、東西線沿線でもあり。早稲田の大隈庭園から早稲田大学等を散策しました。


残念ながら、『大隈庭園』は16時が閉園でしたので、垣根越しの撮影でした。
その後、『紺碧の空』歌詞記念碑を見て、

大学へ。

早稲田校歌「都の西北早稲田の杜に ~ 」

そして、いらっしゃいました!
大隈重信大先生にご挨拶。何処かの高校生達も記念撮影していました。

長女の住いからも決して遠くない場所なので、今度『大隈庭園』は出直して来ましょう。
夜は長女と新宿で待ち合わせし、夕飯を一緒に摂りました。
高層ビル50階からの夜景と美味しいお料理、お酒に大満足!

しかし、上からの景色を見ると、改めて『人間ってちっぽけなモン』ですねー!
- 2014/04/16(水) 01:07:22|
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