先日、大変悲しい事がありました。
先週の金曜日。午後外来の為、勤務するサテライトのクリニックで
仕事をしていますと、本院の事務員から電話がありました。
「先生、先程警察署から電話がありまして、先生の外来通院中のOさんの
カルテとレントゲン写真の貸出の依頼がありました。」との話でした。
「何!何故?」
「Oさんが自殺をされたそうです。」
「・・・。」
しばし、絶句。
突然の事に取り乱してしまいました。全く言葉無く、茫然自失。
平成20年11月から『高血圧』の診断で、他院より紹介されて以来の御付合い
でした。体格の良い、85歳女性。腰痛・膝関節痛あり、歩行がやや不安定で
シルバーカー(手押し車)でバスに乗って約15分の道のりを通院されてました。
本院はバス停の前にある事から、「通院に便利!」と仰ってました。
通院を重ねて、ある時から当院の通所リハビリテーションにも週1回通われて
おりました。
今年に入り、通所リハビリスタッフから、「ハイテンションだが、運動能力は低下」
といった報告を受けておりました。
ご本人から直接お話を伺いましたが、特に異常なし。
「フラフープ運動をしたら、腰痛が改善した!」
と、他の通所利用者にも嬉しそうに伝えていたようです。
報告の通り、ご本人が「ハイテンション」であった事から、2月にご家族をお呼びし
様子をお聞きしました。息子夫婦と娘さんからの聞き取りです。
ご家族も「ハイテンション」にはお気付きでしたが、その他は至って変わりなしとのお話。
日頃は独身の娘さんと同居しているそうですが、娘は銀行員で朝早くから夜遅くまでの仕事。
その為、日中は一人でしたが、一緒に買い物に行っても支払も出来、お金の管理も自立している
という話でした。
認知症の場合、お金の管理が出来るか、否かが大変重要なポイントです。
一見まともに見えても、お金を多く支払ったりする等、お金の管理で見分ける事も可能です。
その後、3月の受診日では、昔話をしてくださいました。
若い頃、東京迄毎日通い、『造幣局』での仕事に就いていたが、空襲の為、親に呼び戻された。
百姓をするのが嫌で、親戚の手伝いに行っていたそうです。その親戚が日光と、聞いた時は
驚きました。それも我が家のすぐ近く。
昭和23年頃、我が家のご近所の羊羹屋さんで包装のお手伝いをしていたそうです。
そして「先生のお爺様を存じ上げております。」と!
私の父方の祖父は元歯科医で、午後になると『本日休診』『午後休診』『臨時休診』の何れかの札を
掲げて、その羊羹屋さんへお茶飲み・世間話に出掛けていたようです。
(祖父の歯医者の札はその3つしか無かったと他の方に伺った事があります。)
祖父が亡くなってもう23年になりますが、こんな身近に祖父の事を知っている方が居るなんて!
大変懐かしく、私が知らない祖父の一面を見る事が出来て嬉しく感激しました。
最後に外来を受診されたのは、4月1日でした。
ベッドへの生活習慣に変わったというお話を伺い、転倒しないよう気を付ける様にお話しました。
それから僅か2週間余。お別れも言わずに・・・。
大変ショックでした。自分に何か出来る事があったのではないか!?等と現在も考え込んでしまいます。
同級生や後輩で病死した者が数名おりますが、私の周囲には『自殺』はおりませんでした。
長年臨床の現場に身を置く父でさえも、患者自殺のケースは経験が無いそうです。
人知れず、お悩みになられていたのか!?発作的・衝動的行為なのかは知る由もなし。
療養型病院、介護型病院や施設で働いて早15年になります。同じ医療でも救急医療や先進医療といった
華やかなスポットライトを浴びる世界ではないのかもしれません。が、一人一人貴重な『人生の幕引き』
のお手伝いをしていると感じつつ診療に携わって参りました。
お見送りをしていますと、一人一人人生のドラマがあり、悲しみの質も異なると感じます。
あるご婦人は40代直前、子供が10歳前に寝たきりになり、それから約40年意思疎通不能が続き、
そしてお亡くなりになりました。
ご遺族であるご主人と息子さんの悲しみを見ていて、長い間ご苦労様でした
と声をかけたくなりました。ご本人の頑張りも見事ですが、ご家族の頑張りに脱帽しました。
そういった状態でも『生きる』生への執着というものを感じます。
最近は自宅での看取りを希望される方々も多くなっているようです。現場にいて感じますが、
何処で、どういった治療を施し亡くなるか!?よりも、生きている間、どういう生き様、人生を送るか
が重要なのかもしれません。
母方の祖父は陸軍の兵隊で、ラバウルの最前線へ赴きました。私には戦争の話は全くしませんでした。
ただ、「長生きしたものが勝ちだぞ!」と、日頃から口癖のように言っておりました。
先日、父から聞いた話では、ロシア軍の捕虜になる前、激戦地から退却する際、道端に多くの負傷した
日本兵が「俺も連れて行ってくれ!」と懇願していたそうです。連れて行きたいけど、自分自身の事で
精一杯。「迎えに来るからな!」という言葉を絞り出すのみだったそうです。
私の家内の伯父は若くして『菊水作戦』で散った特攻隊員でした。
本日のタイトル『生きねば』は、昨年大ヒットした宮崎駿引退作品『風立ちぬ』で出ていた言葉です。
生きたくとも生きる事が出来なかった、出来ない人が多くおります。
患者さんの死を通して、今迄も数多くの事を学んできました。
『生』と『死』を考えさせられる毎日です。今後も多くを学ぶことでしょう。
しっかりと自分の『生』の意味を考え、精一杯生き、自身のその時を迎えられることが大切であり、
生きる意味でもあり、多くの方々の役に立つという目標を持ち、生きる事に価値を見出します。
- 2014/04/21(月) 21:58:39|
- 日々の診療徒然
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