当直明けです。ちょっと間が空きましたが、久々のブログ更新です。
本日、早朝に訪問嘱託の施設で、101歳の女性が亡くなりました。
もうかれこれ1ヶ月。よく頑張っておられました。
初めてお会いしたのが、7月。認知症も無く、口の達者な可愛い御婆さんといった印象でした。
元々、腎不全があり。足は浮腫んでおりましたが、比較的元気でした。
人生の先輩と言葉を交わす中で、色々と参考になるお話も聞けました。
尿路感染から体調を崩し、短期間の入院治療を決断。徐々に食事摂取量が低下してましたが、
私が不在のタイミングで、『クレメジン』(毒素吸着剤、活性炭)を他の医師に処方され、案の定
食事摂取不能となりました。
そこで、施設での看取りを判断したのが、1ヶ月前。利尿剤他、飲み薬の摂取も無理となり、
全面中止。ただ、私個人の『キクイモ』加工品をご家族にお話した上で、差し上げました。
補助食品として、少しでも摂れれば!という想いからです。
すると一時的に経口摂取が盛り返し、クレアチニンの数値が3.3mg/dlから2.8mg/dlまで低下。
軽口も復活しました。
が、徐々に再び食事が摂れなくなり、施設の職員の方々にも「さよなら」と言っていたそうです。
14日には、コーヒーが飲みたいと少々ですが、楽しまれたそうです。
病院の施設との看取り連携についての取り決めが十分な準備がなかった事もあり、医師、
施設職員など周囲の人達は気をもんでおりましたが、本日私の当直明けの回診日朝に旅立たれました。
タイミングを見計らっていたかのようでした。
朝駆けつけてみると、綺麗なお顔で、穏やかな表情。苦しまずに逝けたのでしょう。
大変立派でした。
一言『見事』としかいいようありません。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
私が大好きだった、母方の祖父も今から19年前に亡くなりましたが、
太平洋戦争で、軍人としてラバウル最前線に赴き、戦地から訃報が届きましたが、
ロシアの捕虜となり、戦後、無事に帰国した人です。
「自分の隣にいた仲間が沢山死んでいった。弾丸が俺を避けて行ったんだ。」
と、帰国後周囲の人に話ていました。
「捕虜の時の話は墓場まで俺が持って行く」と、決して語らなかった祖父。
祖母が認知症になった後、「俺が死んでも、教員、軍人、某会社の恩給で養える」と
いいつつ、自分自身の葬儀代金まで、しっかり自身の貯金で賄えたと聞いてます。
故郷を愛し、「自分の故郷を知らないと!」と、私と姉を日光の各地に連れていってくれました。
現在、そういう想いを引き継いで、毎年家族で故郷日光を歩いております。
来年には、その故郷で一人の医師として、故郷の皆さんのお役に立つお話も頂戴しております。
自分自身のライフワークとして、取り組んでいきたいと考えます。
立派な最期を迎える為には、今日この1日をしっかり地に足をつけて頑張ろうと思います。
- 2014/10/17(金) 13:31:20|
- 日々の診療徒然
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