本日は午後からノンビリです。
朝8時過ぎ、帰省する家内をJR宇都宮駅迄送り、その後次男を
塾に送り、次女と共に日光へ。
定期の代診ですが、少々遅刻しました。が、患者さんほとんど来院無し。
リリィを連れて娘と散歩。旧日光市役所(現在は支所)の駐車場で軽い運動。
いつも遊びに行く、我が家の菩提寺である観音寺は町内の山車の後片付けの
真っ最中。そうです、日光の春を告げる、私の大好きな、二荒山神社のお祭り
『弥生祭』が13日から17日開催されていました。

今年は残念ながらお祭りそのものを見る事が出来ませんでしたが、その名残を
味わいました。
小学生の頃、町内の山車を引っ張りました。昨年も当ブログでこのお祭りについて
触れております
。⇒『日光の春を告げる弥生祭とキクイモによる復興』私自身3月生まれですし、この季節が1番好きです。
現在、桜前線は青森だそうですが、桜前線の北上とともに日本の温暖な季節が到来する。
日本人の四季の感覚を養っている一つと感じます。
先日、ワシントンでの桜の花見をニュースが取り上げておりましたが、桜が海を渡って
時間が経っても、日本人の桜に対する感覚は歴史があります。
古代において、日本の農村では春の訪れと農耕の開始期を知る手段で、年の稲の豊作を願い、
神酒を供えたといいます。
平安時代、京都において、貴族の間でも家に桜が植えられたそうです。
江戸時代には八代将軍吉宗の桜への功績が大きく、桜の苗木を各地に植えさせました。
上野の寛永寺をはじめとし桜の名所が誕生しました。
先日のブログでも触れました、家内の伯父神風特攻隊をはじめとする戦没者の方々も
『同期の桜』にあるよう見事な散り際だった事でしょう。
『弥生祭』の山車にもしっかりと桜が飾り付けられております。
「散る桜 残る桜も 散る桜」 良寛の辞世の句
「ねがはくは 花のもとにて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」 西行法師
「風誘う花よりもなお我はまた春の名残をいかにとやせん」 浅野匠守の辞世の句
「敷島の大和心を人とはば朝日ににほふ山桜花」 本居宣長
古今和歌集より
「花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に」 小野小町
「いざ桜われも散りなむひとさかりありなば人に憂き目見えなむ」 承均
日本人の心の醸成に不可欠な花見かと感じます。
- 2015/04/18(土) 20:54:25|
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