お陰様で、右足の傷も癒えつつあります。
2週間前の日曜日、講演会の翌日に負った骨折。
後輩の市内整形外科開業医のH先生から
「固定してたら1週間で治りますから!」と
言われましたが、2週間経過しました。
未だ多少痛みが残ります。
彼の見立て違いか、私の治りが悪いのか!?
それとも長雨のせいでしょうか?
まぁ何れにせよ何とか後遺症無く完治すればOKです。
シルバーウィークですが、残念ながらの雨。
次女は昨日から長女の所へ遊びに出掛けてしまいました。
姉妹が仲良く遊んでいる事を思うと、嬉しいのですが、
残された次男と夫婦は何となく寂しい限り。
折角だから、映画でも見に行こうか?
次男「観たい映画無いし。」と、朝からTSUTAYAへ行き
彼が好きな映画をレンタル。
あっという間に日が暮れてしまいました。
何処かへ遊びに行きたいけれど、皆あまり乗り気でなく。
長女・長女が大学生となり家を出て、現在家に残る次女と次男。
彼等もあと数年で出ていく。。。夫婦二人になると今以上に
会話も少なく、寂しくなるのかも・・・・。
今の内に一杯遊んでおかないといけませんね。
私が子供の頃、近所に兄の様に慕ったMさんがおりました。
日光という土地柄、アイスホッケーが盛んで、そのお兄さんも
アイスホッケーのスーパースターでした。
高校・大学と日本一を経験し、地元のパレードの先頭を歩き、1964年の
東京オリンピックの際は聖火リレーも務められたそうです。
地元の実業団チーム古河電工の監督も務めました。
弱小チームでしたから、大変なストレスだった事と思います。
背は高くないのですが、胸板も暑く筋骨隆々でした。
お酒も強く、どんな相談にも乗ってくれる方でした。
いつの間にか疎遠になり、埼玉に居を構えたという話は聞いてました。
そんな屈強のスーパースターが病に倒れ、寝たきり状態である事を耳にし
慌てて訪ねました。
気管切開を施され、食事は栄養チューブで、言葉を発する事は出来なかった
のですが、私を見て、涙を流して喜んでくれました。
「何時でも遊びにおいで!」と優しい言葉を掛けてくれたのですが、
不義理をし、こんな形での再会になったのを心底悔やみました。
その後、何度か訪れましたが、その都度奥様がお気を遣われるので
少々ご遠慮してましたところ、8年前の春、残念ながら亡くなりました。
日光の菩提寺にあるお墓にはお参りしておりますが、生前もっと
色々な話をし、アドバイスを貰えたら良かった。後悔先に立たずです。
いつも思っていた事ですが、
「亡くなってから墓前に花を手向けるより、生きている内に花を贈ろう」と。
なかなか照れもあり、出来ないものです。
今年4月、日光市の大学付属医療機関での診療をする事になりました。
何回目かの診療日に、外来へ歩いていくと、
「岡先生でしょ!?」と呼びとめる声が。
そこには頭がツルツルの小父さんが雪駄を履いて立ってました。
「御久し振りです。KKです。」
「???」「どちら様ですか?」
「以前、お宅の近くで下宿してました、Mさん宅に下宿してたKです。」
「あぁ、ニッポンK!」
K氏はMさんの所に高校時代下宿し、同じアイスホッケー部の後輩でした。
私が子供の頃に良く遊んでくれました。稼業の屋号が「ニッポンK」でした。
(何をしているのかはしりませんが。)
するとニッポンK氏、「今、心臓と糖尿でY先生にかかっています。
先生がキクイモの本を書いている事を知人に聞き、本を借りて読みました。」
そうですか?!それなら『キクイモ』を摂りなさい!!早速、外来待合室の
ベンチで『キクイモ』講義を始めました。幸い午後の外来で空いていたので
ゆっくりと時間も取れました。
それなら、私の推奨する『キクイモ』茶をプレゼントします。しっかり飲んでみて下さい。
先日の市民公開講座にK氏も御出席してくれました。
体調も良いそうで、元気でお過ごし頂きたいと思います。
Mさんが亡くなったのが桜が美しい4月でした。K氏と再会出来たのが4月。
Mさんが引き合わせてくれたと信じます。Mさんに出来なかった御礼を
Mさんが可愛がっていた後輩のK氏に!という気持です。
Mさんの住んでいた、現在は取り壊されて駐車場となった、後輩のK氏と
過ごした自宅は日光の診療所の駐車場の隣です。
今その駐車場に咲いた『キクイモ』は雨にも負けずに花盛りです。
- 2016/09/18(日) 18:44:56|
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